東日本大震災から6年。震災が過去のこととして忘れられることへの危機感が広がっています。
そんな世の流れに一石を投じ、復興支援の最前線でソーシャルイノベーションを実践しているのが、サイクルイベント「
ツール・ド・東北
」 です。
今年5回目を迎えるこのイベントを地元・宮城に拠点を置く新聞社、河北新報社とともに主催・運営するのは、「課題解決エンジン」としてIT技術で課題を解決することをミッションに掲げる
ヤフー株式会社

イベントは被災地にどのような変化をもたらしたのか。立ち上げから関わり、昨年、「ツール・ド・東北」の2代目事務局長に就任した足達伊智郎さん(同社SR推進統括本部 社会貢献事業本部 スポーツ事業推進室長)に話をうかがい、社会課題解決を推し進める当事者の物語を紐解きます。

現地を訪れる仕掛けとしての自転車イベント


――2013年、宮城県を舞台に第1回「ツール・ド・東北」が開催されました。そもそも初回までの経緯はどのようなものだったのでしょう。

足達:東日本大震災後、復興を日本最大の課題と考えたヤフーは、震災の翌年、宮城県石巻市に拠点を置いて復興支援事業に取り組みます。その一方で、被災していない人にも現地を訪れ、復興の様子をみてもらわなければという思いも抱いていました。単に「行こうよ」と促しても人は動かない。1年に1回でも現地を訪れる機会を作るための仕掛けとして考えたのがこのイベントです。被災地は南北400キロと広範囲に及ぶため、自分の足で周り、感じてもらうには、車でもマラソンでもなく、自転車がいい。そこには、サイクリング愛好者でもある社長の宮坂学の強い思いもありました。
ただ、話が立ち上がった2012年の末は、被災地の傷跡がまだまだ大きく、東京の一企業が突然乗り込んでも簡単に同調してもらえるはずがありません。そこで重要な役割を果たしてくれたのが共同主催の河北新報社です。地元の新聞社ですから信頼は厚い。当事者の立場で物も言える。今年創立120周年を迎える河北新報と、昨年20周年を迎えたヤフー。歴史も文化も異なる両社が組んだからこそ実現できた大会だと思います。

――初回の手応えはどのようなものだったでしょうか。

足達:当時、ヤフーの専任スタッフは、前事務局長の須永浩一と私だけ。あとは、通常の業務をこなしながらボランティアとして協力してくれた社員たちです。結果的にはコアメンバーが10〜20人、ボランティア含めて200〜300人といったところでしょう。自分たちで現場に足を運んでルートを考えるなど、すべてが手探りでした。第1回は11月の開催(※2回目以降は9月開催)で、この寒い時期に人が集まるのか心配な状況でしたが、実際に募集をかけると、定員1500人の募集枠が10〜20分で完売。当日はその時期に珍しい暖かさで、みんなの思いが奇跡を呼んだのだと思いました。

最も感動したのはゴール地点。ライダーたちは沿道の応援を受け、皆涙を浮かべている。私も熱いものがこみ上げ、泣いてしまいました。
【第1回大会、ゴール地点のライダーたち (C)河北新報社 (C)Yahoo! JAPAN)】

――その後、「応援してたら、応援されてた。」というキャッチフレーズが使われるようになりましたね。

足達:社内でポスター制作などを話し合っている際に出てきたフレーズだったと思いますが、参加者のアンケートでも同様の趣旨の感想が多く見られました。タイムを競わないファンライドのイベントとはいえ、短いもので65キロと距離もあるし、アップダウンも激しい。くじけそうなときに仮設住宅のおじいちゃんおばあちゃんの応援を受け、ライダーは涙で走れないくらい感動してしまう。被災地を応援しようと参加したライダーが、逆に応援されていることに気づくというわけです。

一方、被災地でも、沿道でライダーを応援していたら自分が元気になっていたという人も少なくなかったのではないかと思います。どちらがどちらを応援するということではなく、この混じり合う感じこそが、この大会のメッセージ。キャッチコピーが浸透し、いまだに使われているのは、多くの人の気持ちにしっくりくる言葉だからなのではないでしょうか。

被災地の復興を見守り続けるための「黒字化」


――イベントの収支は、早くも2年目から黒字化しました。第2回以降はどのような点が改善されたのでしょう。

足達:企業の収益を使ってイベントを行うと、開催の可否がその企業の業績に左右されたりして長く続けることが難しい。被災地の復興を見守り続けるためには継続するイベントにしないと意味はない。第1回の開催時から最低でも10年は続ける目標をたてました。

そのためにこのイベントを1円でもいいから黒字化することを目指しています。そして、主催のヤフー、河北新報社の収益にはせず、大会を継続するための繰越金およびツール・ド・東北基金に積み立てるという仕組みで運営しています。
どんなイベントになるのか私たちにさえわからない状態で初回の協賛金集めは難航しました。ところが、2回目は初回に参加した協賛企業の担当者たちが強力な応援者になってくれたのです。皆「これはいいイベントだから協力する」と言ってくれ、冠スポンサーもつきました。コンテンツの重要性をあらためて認識しましたね。

その後も、第4回にミュージシャンの藤巻亮太さんがテーマソングを提供してくれて、今回は世界的ファッションデザイナーのポール・スミス氏が大会のオフィシャル・チャリティー・サイクルジャージのデザインを手がけてくれました。思いのある人はいるし、熱意は伝わるんだと感じています。今年は協賛金も過去最高になっています。
【ポール・スミス氏デザインのオフィシャル・チャリティー・サイクルジャージImage by Paul Smith Limited】

――回を重ねる毎にコースが増え、第4回からは開催を2日間に拡大するなど、大会は拡張、進化を続けています。

足達:回を経ても、絶対に忘れていないのは「被災地のために」という原点です。第1回は石巻を拠点にした3コースでしたが、第2回には気仙沼と往復する220キロ(第5回大会では210キロ)のロングコースを新設、第3回には気仙沼発のワンウェイコースを作りました。

これは石巻だけでなく大会前日、気仙沼に宿泊してもらい、お金を使ってもらうためです。コースを素通りするだけではなく、ちゃんと参加者が来て泊まってお金も落とす。そうすることで地元の方にも「自分たちの大会」だととらえてもらえることがわかりました。
【第3回から新設された気仙沼ワンウェイフォンド (C)Yahoo Japan, (C)ZENRIN】
昨年の第4回に設定した牡鹿半島を巡るグループライドは、サイクルツーリズムを念頭に置いたコースを作りたいという石巻市の要望に応えたものです。
【第4回に設定した牡鹿半島チャレンジグループライド (C)Yahoo Japan, (C)ZENRIN】
グループライド形式の走行は、1人1人がマイペースで走るフリーライド形式と異なり、走行管理ライダーをガイド役にグループで走ります。メリットは、既存の施設が利用できること。大人数のフリーライド形式のファンライドのイベントだと、道に迷わないようスタッフを各所に配置し、エイドステーションを作り、トイレ休憩用の施設を設けなくてはいけません。

一方、グループライドはガイドについていけばいいので、既存の道の駅やコンビニなどが利用できます。コストが削減できることに加えて、ペースのコントロールも可能です。

そのため、途中で地元の人が語り部として震災を語ったり、地元名物の料理を振る舞ったりといった内容も盛り込める。これは観光につながります。日本全国で過疎の問題は深刻化しており、交流人口の拡大は全国の課題といっていい。今年行われる第5回では、新たに東松島市が加わり、「奥松島グループライド&ハイキング」を新設しました。2つのグループライドは、コースとなる石巻市、東松島市、女川町が予算化し、実現しました。
【今年新設した奥松島のコースでは途中で自転車を降りてハイキングを行なう (C)Yahoo Japan, (C)ZENRIN】
大会の認知度の上昇とともに、イベントがいい形になっていることを感じています。今後、本気でサイクルツーリズムに取り組む地元の民間企業が出てくれば、さらに成功形に近づくでしょう。

自治体の意識を変えた「結果」と「成長感」


――回を重ねる毎に、地元の人たちの意識も変わっていったということですね。

足達:正直なところ、第1〜2回は地元も様子見だったと思います。たとえいい話だと思っても協力する余力がない。被災地の実情を見ていれば、それはよく理解できました。われわれも、被災地のためにと思っていても、果たして喜んでもらえるのか、無理を通しているだけなのではないかと不安でした。

それが、回を重ねるごとに、イベントの評価や認知度が上がり、それまで1台も走っていなかったロードバイクが3000台以上も集結するようになり、地元のおじいちゃんおばあちゃんたちが「カッコイイ」と言ってくれる。「あぁ地元の人が待ち望んでくれる大会になってきたんだな」と実感しました。
【スタート地点にロードバイクが集結する壮観な光景 (C)河北新報社  (C)Yahoo! JAPAN】
地元に自分ごととして考えてもらうには、「結果」が必要です。開催しても人が集まらない、運営もボロボロであれば人はついてきません。主催者としては大変な面もありますが、毎年の成長感を見せることも大事なのかもしれません。

――イベントの理想の将来像とはどのようなものでしょうか。

足達:今は宮城県だけですが、将来は必ず岩手、福島を含めた被災3県に拡大したい。名前を「ツール・ド・東北」にしているのもそのためですから。理想形は地元主催のイベントとして根付くことです。どういう形で3県に拡大して運営できるか、県も交えて皆で考えていければと思っています。

――地元に寄り添って、着実に規模を拡大してきた「ツール・ド・東北」。一過性の支援に留まらず、地元の行政とも協力しながら発展を続けています。今後も長きにわたって、東北の復興を最前線で支えていくことでしょう。