見た目はアフリカ系アメリカ人、ビートの効いた英語を話しそう……という外見ながら、日本で生まれ育ち、母語は日本語、育ての父親は寿司職人。実像とのギャップが大きすぎるお笑い芸人のアントニーさん。
独特なルーツを持つアントニーさんに、ご自身の経験を元にお話をうかがいました。

少年時代は”板橋の怪物”


――アメリカ人と日本人のハーフのアントニーさんは周囲からも常に注目されてきたと思います。

アントニー:実の父親はアメリカ人で僕が2歳くらいのころに亡くなったので、ほとんど覚えていないんです。その後、母親が寿司職人の父と再婚して、日本人の両親の家庭で僕と弟は育ちました。
 僕の見た目はハーフというより、ばりばりの外国人。でも中身は日本人。英語も話せない。子どものときからこの「違和感」はすごかったです。生まれも育ちも東京の板橋というところで、クラスにハーフは僕ひとり。

 少年野球をやっていたんですが、最初から過度に期待されるんですよ。ある程度身体も大きくて、成長も早かったので、たしかに周りより上手かったんですけれど、相手チームからは「とんでもないやつがいるぞ!」という目で見られる。ハードルが上がりきったなかでプレーしてましたね。当時は「板橋の怪物」という異名で呼ばれていました。

 中学に入ったら入ったで、今度は英語の授業の時に僕が英語が話せないのが変に見える。両親が日本人で日本語しか話さないから当たり前のことなんですけどね。身体が大きくて強そうにみえたせいか、中学に入学してすぐに不良の先輩から「おれらのグループに入れ、喧嘩する仲間になれ」と言われました。喧嘩はしたくないし、怖いので「亡くなった実の父親がプロボクサーで、母親からは絶対人を傷つけるようなことはするなと言われてるんです」と断りました。全部本当のことですが、「実の父親がプロボクサー」というのに先輩たちは意表を突かれたようで「ふうん…そうなんだ、わかった」みたいな感じで許してもらえました。
その後、板橋の中学生のあいだで僕が「マイク・タイソンの隠し子」という噂が広がりました(笑)。

両親の教育方針は「堂々と自信を持って生きなさい」


――周りとは違うアントニーさんや弟さんに対してのご両親の教育方針は?

アントニー:特別なことはなかったです。基本的に母はとても楽観的な人なんです。「自信をもって生きなさいよ」というテンションだったので、小さい時から目立ってしまうことに引け目も感じなかったし、内気にもならなかった。ただ「おまえは身体も大きいのだから、絶対に人に手を出さないように」とは言われてましたね。

 後になって聞くと、いじめられていないか、母も心配はしていたらしいですが、僕にそんなそぶりを見せたことはありませんでした。僕に対して母が「私のせいでごめんね」と言うような気質だったら、今のような性格に育っていなかったかもしれません。

 父とは、見た目が全然違うんですけれど、自分の父親はこの人だとずっと思ってきました。野球の試合や授業参観にも来ていました。周りは、「え、あれがアントニーのお父さん?」ってざわざわしてましたね。しかもわざと仕事着である寿司職人の格好で来たりするんですよ。あれは、勘弁してほしかったです(笑)。
父親には「目立たないようにしろ」とは言われたことがない。「堂々としろ」と言われるくらいでした。

 父親として普通に接してくれたことに対して、子どものときは特にありがたみを感じてませんでしたが、僕も20歳過ぎてからは「ハーフの連れ子二人を自分の息子として当たり前のように育ててきた父はすごい」と思うようになりました。とんでもなく器が大きいです。

お笑い芸人を目指したのは苦肉の策


――お笑い芸人を目指した経緯を教えてください。

アントニー:お笑いの世界に入ったのは、高校で仲良くなった友だちが、彼の地元の友人だった大野君(相方の大トニー)を紹介してくれたのがきっかけでした。大野君はずっとお笑い芸人になりたかったのですが、自分ひとりでは難しい、面白いやつと組まない限り売れないなと考えていた。そこで僕を紹介され「よし、こいつだ!」となったらしい(笑)。

 当時、僕はバイトに落ちまくり将来に不安を感じていました。面接に落ちる理由はたぶん外見。扱いにくいと思われ、ファストフード店もコンビニの面接も、受けても受けても受からない。かなりしんどかったです。僕にぴったりと思われるハンバーガー店の面接も「英語を話せるならむしろ雇いたかったけれど」と言われて断られました。
 工事現場の仕事もしましたが、肉体労働はきつくて、ずっと続けていくのは辛い。
結局一番続いたバイトはテレアポです。電話なら見た目は関係ない。保険関連だったので、仕事をする前にちゃんと勉強して、試験も受けました。

 アルバイトの面接に落ち続けた経験から、将来普通の仕事に就くのは大変だろうと悟りました。やりたいことも特にない。「今後の人生、このままでは楽しくないぞ」と悩んでいたときに、大野君からお笑いをやろうと誘われた。

 だからお笑い芸人を目指したのは苦肉の策ではあったんです。ただ、お笑いでハーフが出てくるのってちょっと意味があるかもしれない。
「運動能力がすごい」「美しい」「バイリンガル」といった、人が思う「ハーフならでは」の能力で世の中に出てくるのと、お笑いはちょっと違うでしょ? 「面白い」「ちょっと変」といったところで評価される世界にハーフが出てくるのは意味があるように思います。
どうせなら自分の性格や見た目を生かして楽しい人生を送りたい。それでお笑い芸人に落ち着いたんです。

「みんな仲良く」はいやだった


――それぞれの違いを認めあっていくにはどうしたらいいと思いますか?

アントニー:「多様性を認めてみんなで仲良くしよう」という考えはもちろんよいと思うのですが、僕個人としては複雑な思いもあります。
 このあいだ、ある学校のイベントに招かれて、最初にお笑いのネタをやったあと、子どもたちに向けて「みんなで仲良くしよう」というようなことを言ってほしいと頼まれました。外国人やハーフの生徒が多い学校だったので、なかなか打ち解けられない子に向けてのメッセージだったのでしょうが、僕はちょっと悩みました。
 というのは、僕は大人から「みんな仲良く」と言われるのがいやだったからです。「みんな仲良く」と言われることで、僕がみんなと違うことをわざわざ言われている感じがした。気を遣われるのもいやでした。
でも、ハーフの男の子が「俺、アントニーに似ているって言われているんだよ!」と屈託なくいうのを見て、僕が子どもの頃とは状況が変化しているのかなと思いました。


――どのように変化しているのでしょうか?

アントニー:テレビでも毎日のようにハーフや外国人が普通に登場します。そういう環境のなかで子どもたちの意識は自然と変わってきているのかもしれません。

 ルミネtheよしもとの舞台に立つと、僕たちはお客さんに「遠くから来た人いますか」と聞くんです。「茨城から来た」「栃木から来た」「鹿児島から来た」と聞いて、めっちゃ遠いですね……とやったあとに、最後に「僕はアメリカから」というのがオチ。このあいだ、修学旅行生のグループが「熊本から」と言ったんですね。さらにそのなかにいた濃い顔立ちの子が手を挙げたので、「君はどこから?」と聞くと「インド!」と。大ウケして、そこでオチとなりました。インドの子が「やったぜ」という顔つきで、周りの同級生もニコニコしていて、みんなが笑っている。ものすごくいい光景だなと思いましたね。

 ひとつ言えるのは、昔よりも今の子のほうが自分とは違う人たちと自然につきあえるようになっているんじゃないでしょうか。

「これがダメならあっちにいく」でいい


――子どもの頃から感じてきた違和感と、どのように向き合ってこられたんでしょうか。周囲との違いに悩んでいる人へのアドバイスがあったら教えてください。

アントニー:違和感に慣れすぎて、もう自分のなかではこれが当たり前になってきています。芸人としては、常に「なにか面白いこと起きろ」と思っているし、違和感があるほうがいい。

 ありきたりなアドバイスですが、悩んでいる人は違いを個性としてとらえていくといいかもしれません。そして、自分の性格や見た目を生かして楽しい人生を送るんです。あまり一つのことに固執しなくていいと思う。これがダメならあっちにいくという感じで、いろいろやってみる。一つのことに深く悩む必要はない。僕はそれで、お笑い芸人に落ち着きました。

 違和感があったおかげで、僕は「どう生きて行くべきか」について考え始めたのがとても早かった。この見た目のせいで、初対面の人に自分のルーツまで話す自己紹介ばかりしてきたことも、自分を受け入れる助けになったのかもしれません。自分のコンプレックスはこれだというのを認めて飲み込んだら、人生ってちょっと変わるんじゃないかな。
あとはコミュニケーション能力がちょっとあればいい。まず自分のことを受け入れて、次に他人に対して「自分はこういう人間だよ」と言えるようになったところが、スタートラインだと思いますね。








アントニー
1990年、東京都生まれ。アメリカ人の父と日本人の母のあいだに生まれたが、幼い頃に父親と死別。その後、母が再婚し、日本人の両親のもとで育つ。高校時代に知り合った大野大介(大トニー)とお笑い芸人を目指し、2009年NSC東京に入学。2010年からよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビ「マテンロウ」として活動している。