2016年のリオパラリンピックに続いて、今年の世界パラ陸上競技選手権でも銅メダルを獲得し、パラスポーツ界きっての期待の星として注目される辻沙絵さん。生まれつき右肘から下がない先天性前腕欠損という障がいがありながら、小中高は健常者と同じ舞台でハンドボール選手として活躍してきた辻さんは、障がい者スポーツの世界に目を向けるまでは、自らも障がい者や障がい者スポーツに対する偏見があったそうです。新たな世界に飛び込み、何を見て何を感じてきたのか。辻さんの前向きな思考に迫ります。

右手がいつか伸びてくると思っていた

——辻さんがご自分の障がいを意識されたのはいつ頃ですか?
辻:
私は生まれつき右肘から先がありませんでしたが、3〜4歳の頃までは、だんだん伸びてくるものだと考えていました。しかし、生まれたばかりの弟には手も足もあって、ショックを受けたことを今でも覚えています。そこから立ち直ったのは、できることが少しずつ増えていったからですね。「できた!」と思える瞬間がとにかく楽しくて、スポーツでもなんでも、どんどん新しいことに挑戦しました。両親が、いい意味で私に手をかけず見守ってくれたこともよかったのだと思います。

——およそ10年続けられたハンドボールは、どのようなきっかけで始められたのでしょうか?
辻:
ハンドボールを始めたのは、皆がやっていて面白そうという単純な気持ちからです。ただ、遊びの延長だった小学校時代とは違い、中学校のチームは全国大会で勝つことを目標にするレベルだったので、最初のうちは体育館の隅で壁を相手にボールを投げてはキャッチする練習を、1人で黙々と繰り返しました。
【短距離走で注目を集める、辻 沙絵選手】
 入部するとき、「あなたに合わせた練習はできない」と先生から言われ、「障がいに関係なく、がんばれば認めてもらえる」と素直に嬉しく感じました。選手として認めてもらえるまでに時間はかかりましたが、実際に先生はちゃんと見ていてくれて、試合にも出してもらえるようになりました。先生にはスポーツの素晴らしさや楽しさ、人とのつながり方、礼儀などいろいろなことを教わりました。私が将来、教職に就くと決めたのもこの先生の影響です。
 高校進学を機に、茨城にあるハンドボールの強豪校に進学しました。この時期は、常に『チームのために自分に何ができるか』ということを考えていましたね。スポーツは好不調がありますから、チームの調子が悪いときに「自分がなんとかする」という強い気持ちで結果を出す選手になろう、頼られる選手になろうと、日々行動していましたね。 

パラスポーツに対する、心の変化

——スポーツ推薦で入学した大学では、ケガで思うように練習できない時期が続きました。パラスポーツの陸上競技への転向を勧められたのはそのときだったそうですが、率直にどのような気持ちでしたか?
辻:
とにかくショックでした。両親にも健常者と同じように育てられましたし、ハンドボールでもレギュラーとして試合に出ているという自負があったから、突然「障がい者」のカテゴリーに入れられたようで悲しくなりました。
 しかし、いずれ教職に就くことを考えれば、広い世界を知っている先生のほうが子どもにいろいろなことを伝えられるはずですよね。パラリンピック、オリンピック両方に出場したポーランドの卓球選手、ナタリア・パルティカ選手の姿にも背中を押され、今、私にしかできないことをしようと陸上を始める決意をしました。
 それでも、しばらくの間ハンドボールとの掛け持ちをしていたのは、迷いがあったからです。私自身、障がい者スポーツは、「かわいそうな人たちが一生懸命がんばって内輪で盛り上がっている」というイメージを持っていたのです。
 それが大きく変わったのは、2015年の世界パラ陸上競技選手権に出場したのがきっかけです。選手は皆この大会に照準を合わせ、障がいがあることを忘れてスポーツにただ熱くなっている……。それまで障がい者スポーツに抱いていた自分の考えがいかに恥ずかしいものだったかを思い知りました。
 さらに、私の気持ちを動かしたのが走り幅飛びで優勝した山本篤選手です。メダルセレモニーで「君が代」が流れるのを聴き、こんなふうに幸せな気持ちを周囲とシェアできるという事実に心が震えました。しかし、自分の結果は6位。今からがんばればメダルに手が届くかもしれないと、陸上に専念することを決めました。

——その後、2016年のリオパラリンピックでは400mで見事銅メダルを獲得し、1年後の世界パラ陸上でも3位に輝きましたね。
辻:
リオではプレッシャーがあまりに大き過ぎて、試合に行くのが怖いと初めて感じました。自分の負けは、日本の負け。メダルが取れなかったら私の人生はどうなってしまうのだろうとナーバスになっていた分、メダルが取れてホッとしました。ただ、私のスポーツ人生の中でいちばんきつかったのは、そこからの1年です。メダルを取ってから、テレビ出演や講演などの仕事をさせていただき、大変良い経験になりました。その反面、練習に割ける時間が減ってしまい、タイムも落ちてモチベーションの維持が難しくなったのです。次の大会でメダルが取れなかったら「ただの一発屋だ」と、全否定されるような気持ちを感じていました。
 その間、つらくても前向きでいられたのは、リオでのある思いがあったからです。2015年で6位だった私が、「世界の大会でほしい」と願ったメダルがリオでやっと手に入った。でも、表彰台の隣を見ればもっと輝くメダルをもらっている選手がいますし、何よりセレモニーで流れたのは君が代ではない。表彰台の一番高いところで国歌が聞きたい、そう感じたことが一番のモチベーションになりました。
 スタートラインに立ったとき、「あのとき、ああしておけばよかった」と後悔しないようにがんばろう。毎朝起きるたびにそう考え、アクションにつなげたこの1年間は、いろいろな意味でステップアップできた時間だったと思います。
【今年6月、日本パラ陸上競技選手権大会に出場した時の辻さん】
——世界の舞台に立つ中で、日本と世界の障がい者スポーツのあり方について考えることはありますか?
辻:
リオのときも、観客の多さと盛り上げ方に感動しましたが、ロンドンで感激したのは観客やボランティアの人たちの障がい者スポーツへの理解度の高さです。
 例えば、視力障がいのある人たちは音を頼りに競技をするので会場も静かにしないといけません。観客は皆それをわかっていて、出場選手が表示されると、静寂を要求するアナウンスが流れる前に一斉に静かになる。そしてすべての選手がゴールした瞬間に、一気に盛り上がるのです。
 選手紹介の表示も印象的でした。どこに障がいがある選手なのかすぐにわかるよう電光掲示板に人型を表示し、それぞれ障がい部位を色づけします。私の場合は右手の肘の先、ブラインド(視覚障がい者)の人の場合は目の部分がそれぞれ赤く表示されるという具合です。日本では選手への配慮という面で、そういった表示はまだ見られませんが、障がいの部位がわかるとスポーツ観戦の面白さが増すと私は考えています。
 もともとロンドンはパラリンピック発祥の地で、人々の理解も義肢装具も最先端をいっていますが、2012年のオリンピック・パラリンピックでしっかり整備し、今回さらにレベルアップさせていると感じました。
——日本のパラスポーツ界にどのような変化を期待しますか?
辻:
「競技は静かに観なくてはいけない」と考える人が日本には多いと思うのですが、選手の立場からするともっともっと盛り上がってほしい。ロンドンの世界パラ陸上では大音響でBGMが流れる中、観客はビール片手にスポーツ観戦を楽しんでいました。そんな姿を見ていると選手も自然とテンションが上がりますし、「写真を撮らせて!」「サインして!」とたくさん声がかかると、まるでヒーローになったような気持ちにさせてもらえるのです。私もレース前にユニフォームをねだられて、ちょっと困ってしまいましたが(笑)。
 また、選手にとっては費用面も大きな問題です。オリンピック選手もコーチを雇ったり海外遠征したりするのにとにかくお金がかかりますが、パラリンピックの選手の場合、さらに義手や義足の購入やメンテナンスなどの出費があります。スポーツ歴の長い選手や結果を残している選手にはスポンサーがつきやすいのですが、新たにスポーツを始める選手にとっては大きな負担になっているのが現実です。
 私はスポーツで人生が変わりました。いえ、スポーツに育てられたといっても過言ではありません。だから障がいをもって生まれた子どもたちにも、事故や病気で後天的に足や手を失った人たちにも、もっとスポーツに挑戦してほしいと思っています。それに際してハードルをなるべく低くする工夫やアイデアが、もっと生まれて来てほしいですね。

障がい者に対する偏見のない国を目指して

——障がい者に対する人々が抱くイメージを変えるには、どうすれば良いでしょうか。
辻:
私が以前、パラスポーツに抱いていた偏見の原因は、義肢装具やパラアスリートについて深く知らなかったからではないかと考えています。あと「かわいそう」とか「感動をありがとう」というスタンスに寄りすぎる報道なども、障がい者に対する一種の固定概念を植え付ける要因かもしれません。
 そういった状況を脱するためには、例えば義肢装具の体験会などが有効だと思います。子どもたちには障がいがどういうものかを体験する良い機会になりますし、パラスポーツが、いざやってみると実はすごく難しいということも知ってもらえます。これは健常者スポーツと障がい者スポーツ両方に取り組んだ私だからこそ、伝えたい部分でもありますね。
 それに、子どもは義手を見て「かっこいい!」などと言ったりするもの。そういった自由な発想が、障がいに対する偏見を本当の意味で払拭するために必要ではないでしょうか。私は、電車の中で子どもに「なんで腕がないの?」と聞かれると、説明できる機会を与えてくれたことに感謝したい気持ちになって腕を触らせたりします。日常の中で自然と障がい者に触れ合う機会が増えれば、少しずつ差別もなくなるはずと信じています。

——2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け今、どのような思いをお持ちですか?
辻:
今、日本中が東京オリンピック・パラリンピックの開催される2020年を意識しています。でも、2020年は決してゴールではなく、アスリートを含めた全員にとって、その先の日本が「生きやすい国」であってほしい。
 2020年には海外からたくさんの人が訪れます。その時、「日本の製品を買いたい」とか「日本人と一緒に働きたい」と心から感じてほしいですし、日本人にとっても自国の良さを再発見できるイベントになるよう、私も自分ができることにまい進していくつもりです。
辻 沙絵(つじさえ)
日本の短距離走選手。1994年、北海道生まれ。先天性前腕欠損で生まれるも、幼い頃よりスポーツに親しみ、小学校5年からハンドボールを始める。一貫して健常者のチームでプレーし、高校時には国体にも出場。2013年に日本体育大学へ進学した後に、障がい者陸上競技にも取り組み始める。2016年リオデジャネイロパラリンピック、陸上女子400m銅メダル。2017年世界パラ陸上競技選手権大会、女子400m銅メダル。選手生活の傍ら講演活動を行うなど、日本パラアスリート界で最も注目される選手の1人。